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松山地方裁判所 平成3年(ワ)11号 判決 1997年4月23日

原告

和田香

右法定代理人親権者父

和田實正

同母

和田真祐美

右訴訟代理人弁護士

草薙順一

被告

学校法人慶応学園

右代表者理事

二宮国利

右訴訟代理人弁護士

宇都宮嘉忠

右復代理人弁護士

田口光伸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、二三九六万八八二七円及びこれに対する平成三年一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

平成元年六月二四日午前八時五〇分ころ、被告の経営する慶応学園幼稚園(以下「被告幼稚園」という。)二階のコスモス組教室内において、同組園児であった原告(昭和六〇年二月一〇日生・当時四歳)が右眼瞼挫創、右眼裂傷等の傷害を負うという事故(以下、「本件事故」という。)が発生した。

2  被告の責任原因

(一) 本件事故は、原告が、被告幼稚園のコスモス組園児であった森田潤(当時四歳、以下「潤」という。)から、その持っていたハサミで右眼を突かれたことにより生じたものである。

幼稚園を経営する被告としては、四歳児で構成されるコスモス組において、園児が突然ハサミを持ち出すなど危険な行動に出ることが予測されることから、担任教員が同組の教室に常駐し、教室を離れる場合には他の教員に監督を依頼するなどして、ハサミ等で園児が事故を起こすことがないよう防止すべき安全配慮義務があった。ところが、本件事故当時、コスモス組の担当教員であった宮脇志保(以下「宮脇教員」という。)は、二階にある同組の教室から階下に下りて立ち話をしており、同組園児の潤がハサミを持ち出したことを見落としたため、本件事故が発生したものである。したがって、被告に安全配慮義務違反があったことは明らかである。

また、コスモス組の教室では、ハサミの入った道具箱はロッカーにしまわれていたが、鍵がかけられておらず、園児がいつでも自由に取り出せる状態に置かれていた。したがって、この点についても、被告の側に安全配慮義務違反があったというべきである。

(二) 仮に、本件事故がハサミによるものではなかったとしても、被告としては、原告が四歳児であったことを考えれば、担任教員において、教室内の園児の動静に十分注意し、未然に事故を防止すべき注意義務があった。しかるに、宮脇教員は事故直前の原告及びその周辺の動静には全く注意を払っていなかったものであり、被告に安全配慮義務違反があったことは明白である。

3  原告の治療経過及び後遺障害

(一) 原告は、本件事故後、直ちに大野病院、次いで一色眼科医院において応急措置を受け、同眼科医院の紹介で愛媛県立中央病院(以下「県病院」という。)眼科に受診して、平成元年六月二四日から同年七月二二日まで入院し(二九日間)、平成二年六月二三日まで通院した(実日数八二日)。

(二) 原告は、右治療を受けたにもかかわらず、①右眼球に瘢痕を残し(自賠法施行令別表一二級一四号該当)、②右眼視力が0.05に低下する(同表九級該当)などの後遺障害を残して、平成二年六月ころ症状が固定した。右後遺障害は、併級により同表八級に相当する。

4  原告の損害

(一) 入院雑費 二万三二〇〇円

原告の前記入院二九日分(一日八〇〇円)

(二) 付添看護費

一一万六〇〇〇円

原告の前記入院中、原告の母親が付き添ったが、一日四〇〇〇円として二九日分の一一万六〇〇〇円となる。

(三) 入通院慰藉料 一〇〇万円

(四) 逸失利益

一七一七万九六二七円

女子の全年齢平均給与月額一七万六五〇〇円を基礎に、労働能力喪失率を四五パーセント(後遺障害等級八級)、就労可能年数を四九年(新ホフマン係数18.025)として計算すると、次式のとおり、一七一七万九六二七円となる。

17万6500円×12月×0.45×18.025=1717万9627円

(五) 後遺障害慰藉料七五〇万円

(六) 小計二五八一万八八二七円

(一)ないし(五)を合計すると、二五八一万八八二七円となる。

(七) 損害の填補 三八五万円

原告は、本件事故につき三八五万円の支払いを受けたので、残損害は二一九六万八八二七円となる。

(八) 弁護士費用 二〇〇万円

5  よって、原告は、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、二三九六万八八二七円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年一月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める(但し、原告の正確な受傷名は不知。)。

2  請求原因2(一)の事実のうち、潤がコスモス組の園児であったことは認め、その余の事実は否認する。

本件事故は、宮脇教員が、コスモス組の教室内入口付近において、園児のおもらしを発見して布で拭きとっていたところ、たまたま花瓶の水を園児がこぼしたので水を拭きとっていたときに発生した。宮脇教員は、原告の泣き声で事故の発生に気づき、振り返ると、原告が泣きながら出血した右眼を押さえており、その傍らで潤が手で口を押さえていた。その際、同教員は、他の園児から潤と原告が走っていてぶつかったと聞いており、潤が手にハサミを持っていたり、床にハサミが落ちていたりしたことはなかった。以上からすれば、本件事故は、潤がハサミで原告の右眼を突いたことにより発生したものではなく、原告と潤がたまたま衝突したため、潤の歯もしくは指が原告の右眼に当たって発生したものであることが明らかである。

3  請求原因2(二)の事実は否認する。

本件事故当時、コスモス組の教室内において園児らが暴れたり、危険な行動をしていたことはなく、前記のとおり、宮脇教員が床にこぼれた園児のおもらしなどを拭きとっていた際、瞬間的に本件事故が発生したものである。したがって、宮脇教員において、本件事故の発生を予知、予測することができず、防止することができなかったのであるから、被告に安全配慮義務違反はなかったというべきである。

4  請求原因3の事実は不知。

5  請求原因4の事実のうち、(七)の損害の填補は認め、その余の事実は争う。

なお、仮に、本件事故の発生について被告に僅かでも責任があり、原告主張の損害が生じているとしても、原告側で医師の治療継続の指示に従わなかったため、より高度の後遺障害を残すに至ったものであり、また、原告の後遺障害のうち右眼球に残った瘢痕は、自賠法施行令別表所定の「外貌の醜状」に該当する程度には至っておらず、原告の視力障害も同表一〇級に該当する程度に過ぎない。

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生について

請求原因1の事実は、原告の受傷名を除いて、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に加え、証拠(甲二ないし六、七の1、2)によれば、原告が平成元年六月二四日午前八時五〇分ころ被告幼稚園二階のコスモス組教室内において、右眼瞼挫創、右眼裂傷等の傷害を負ったことが認められる。

二  被告の責任原因について

1  本件事故発生の経緯等について

本件事故発生当時、原告と潤が被告幼稚園の園児であったことは、当事者間に争いがなく、証拠[甲一、五、六、七の1、2、八、九、一〇の1、2、一二、証人宮脇志保、同長山厚生(第一、第二回)、被告代表者]及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告(昭和六〇年二月一〇日生、本件事故当時四歳)は、被告幼稚園のコスモス組の園児であった。

(二)  被告幼稚園は、本件事故当時、職員七名、教員二〇名が置かれ、約五六〇名の園児を一七クラスに編成して保育しており、登園時間を午前八時三〇分から九時三〇分まで、始業時間を午前一〇時からとしていた。被告幼稚園の教員は、早出と遅出に二分され、早出の場合は午前七時三〇分に、遅出の場合は午前七時五〇分にそれぞれ出勤し、そのうちの六名が四台の送迎バスに乗り込んで園児を迎えに行き、二名が運動場で遊ぶ園児の相手や監督をし、一名が園児を玄関で迎え、その他の教員一一名が登園してきた園児と教室で過ごすことになっていた。

(三)  宮脇教員は、被告幼稚園のコスモス組(四歳児・三八名)の担任教員であった者であり、本件事故当日の平成元年六月二四日は、午前七時五〇分ころ出勤し、運動場で園児の相手や監督をする係りとなっていたが、前日が雨天であったため運動場が使用できず、午前八時ころから鶏舎の掃除をした後、午前八時一五分ころには園舎二階にあるコスモス組の教室に入り、園児らが登園してくるのを待ちながら保育の準備等を行っていた。

(四)  原告は、同日午前八時三〇分ころ登園したが、宮脇教員は、原告が数日前から休んでいたので、他の園児から原告が登園してきたことを聞いて靴箱の所まで出迎えに行き、午前八時三五分ころコスモス組の教室内に戻った。同日午前八時四〇分ころには、原告や潤を含む約一五名の園児が右教室に入り、着替えや積木遊びなどをしていたが、特別に騒いだり暴れたりしている園児は見られなかった。

(五)  宮脇教員は、同日午前八時五〇分ころ、コスモス組教室内の入口付近の床に園児のおもらしのような跡を見つけて雑巾で拭き取り、次いで、花瓶の水がこぼれたのを拭き取った後、雑巾を洗いに教室外へ出たところで、園児の一人から原告と森田潤とが教室内でぶつかったことを聞かされた。そこで、同教員が、教室内を振り返ると、原告が右眼を、潤が口を、それぞれ手で押さえて向かい合う形で立っており、直ぐに駆け寄ったところ、原告は瞼を切って出血した右眼を押さえて泣いており、潤は口を押さえ、「ううっ」と声を出して痛そうに唸っていた。そして、同教員が、原告ら二人に、「どうしたの。」と尋ねたところ、二人は答えず、周辺に居た園児が、「ぶつかったんよ。」と答えた。なお、その際、潤が手にハサミを持っていたことはなく、周辺の床にもハサミを入れる道具箱が出されていたことはなかった。

(六)  宮脇教員は、右の様子から、原告と潤とがぶつかり、潤の歯が原告の右眼に当たったのではないかと感じ、潤の歯が折れていないかと口を開かせてみたが異常がなかったので、右瞼から出血している原告に対し、教室内の備付の救急箱からガーゼを取り出して傷口に当て、直ちに、原告を職員室に連れていって、被告幼稚園の園長高月カクエ(以下「高月園長」という。)に見せた。その際、同教員は、高月園長に、潤と原告がぶつかって潤の歯が原告の右眼に当たったらしい旨報告した。

(七)  そこで、高月園長は、直ちに原告を大野病院に連れて行き、受診させたところ、右眼瞼挫創、右眼裂傷と診断され、応急措置として右眼瞼裂傷部分の縫合と抗生物質の投与を受けたが、一色眼科医院で受診するよう指示された。

なお、大野病院の診療録(甲五)には、原告の受傷原因として、「友達と遊んでいて右眼に歯があたる」と記載されている。

(八)  その後、原告は、高月園長と被告理事長二宮国利に伴われて一色眼科医院で受診したところ、右眼強膜裂傷、ぶどう膜脱出等の症状のため手術が必要であると診断され、県病院眼科での受診を指示された。そのころ、原告の両親が被告幼稚園からの連絡を受け、一色眼科医院に駆けつけた。なお、一色眼科医院から県病院宛の紹介状には「今朝、幼稚園で走っていて友達の歯が眼瞼にあたり」との記載がなされている。

(九)  原告は、両親及び高月園長らに付き添われて、県病院眼科の長山厚生医師(以下「長山医師」という。)の診察を受け、強膜裂傷、角膜裂傷、ぶどう膜脱出と診断されて、同日午後三時二五分から五時一五分までの間、全身麻酔の下で強膜及び角膜縫合の手術を受けた。原告の角膜裂傷の長さは約八ないし九ミリメートル、強膜裂傷の長さは約一〇ミリメートル、裂傷の深さは角膜から強膜にかけて約一ミリ弱程度であって、かなり鋭利に切れており、強膜の下にあるぶどう膜が脱出していたが、裂傷は見られなかった。また、手術所見として、虹彩の脱出と、球結膜の創より強膜の創が少し長い状態がみられた。なお、県病院眼科の外来診療録には、「幼稚園で子供同士の怪我」と記載され、小児看護記録には、「本日八時五〇分頃幼稚園で自由時間中走って遊んでおり通路角で同体格の男の子とぶつかる。顔同士が当たったようで、泣いて上眼瞼が縦に切れていた。相手の男の子は歯が痛いと言っていたので歯が当たったのではないかと思われる。」と記載されているが、看護記録には、「かなり眼球を奥深くまで切っていました。外からみた傷と中の傷の切り具合が合わないので、本当にただ友達の歯できっただけなのか。何か道具で切った傷のように思えますけれど」と、手術直後に長山医師から原告の両親に対し説明された旨の記載がある。

(一〇)  原告は、平成元年七月二二日に県病院を退院したが、右視力障害(裸眼で0.05、矯正不能)の後遺障害を残して、平成二年六月二二日に症状固定した。

以上の事実が認められる。

ところで、原告の両親である証人和田實正及び和田真祐美は、本件事故の際、宮脇教員はコスモス組の教室にはおらず、事故後、原告が他の園児にティッシュペーパーを右眼に当ててもらって階下に降りたら、同教員は他の教員と立ち話をしていた旨供述するが、本件事故から約一か月経過した県病院退院後に原告からそのように聞いたというもので、宮脇教員の具体的かつ詳細な証言内容と対比して、右各供述を直ちに採用することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告の受傷原因について

(一)  原告側では、本件事故は、原告と同じコスモス組の園児であった潤が手に持っていたハサミで原告の右眼を突いて発生したものである旨主張するが、前記認定のとおり、(1)宮脇教員が本件事故を察知して、直ぐにコスモス組の教室内を振り返った際、原告が右眼を、潤が口を、それぞれ手で押さえて向かい合う形で立っていたこと、(2)同教員が直ぐに原告らのところに駆け寄った際、原告は出血した右眼を押さえて泣いており、潤は口を押さえて痛そうに唸っていて、周辺に居た園児から原告と潤がぶつかったと聞いていること、(3)その際、潤が手にハサミを持っていたり、周辺の床にハサミを入れる道具箱が出されてはいなかったこと、(4)そこで、同教員は、原告と潤とがぶつかり、潤の歯が原告の右眼に当たったのではないかと感じ、その旨高月園長に報告して、当日原告が受診した大野病院、一色眼科医院及び県病院眼科にも、同旨の報告がなされていること、以上の事実が認められ、これらの事実によれば、本件事故は、潤と原告とがぶつかったことにより、潤の歯が原告の右眼に当たって生じた可能性が高いと認められる。

(二)  そして、鑑定人広島大学医学部眼科学教室教授調枝寛治医師の鑑定結果及び同医師の証言(以下「調枝鑑定」という。)によれば、(1)小児の眼外傷は、小児に特有な身体の柔軟性に加え、活発で無警戒、不注意な行動に起因するものが多く、時には成人では考えられないような眼外傷がみられるといわれていること、(2)幼少時では、成人に比べて角膜、強膜は薄く破裂しやすい傾向にあり、出会頭の衝突事故や振り向きざまでの突発的な接触事故による打撲でも眼球破裂が起こり得ること、(3)一方、幼児の前歯である乳中切歯、乳側切歯及び乳犬歯の先端はかなり尖っており、以上三つの歯を合わせた幅は一九ミリメートルあって、幼児が口を開いて頭を右に傾けるなどして強く衝突すれば、上顎両側の乳中切歯と乳側切歯によって相手の幼児の眼瞼と角膜に同時に外力が加えられ、頭を傾けなくても上顎右側の乳切歯と乳犬歯によって眼瞼と角膜、強膜の裂傷を生じる可能性があること、(4)原告の右眼の眼瞼と眼球の裂傷状況は、前記認定のとおりであるが、眼瞼の裂傷と角膜の裂傷は、眼球が二ミリメートル内転位すると略一線に並び、同時に同じ原因によって生じたものと思われること、(5)原告の眼球の裂傷は、角膜、強膜及び球結膜に生じているが、眼球外膜に限局されており、また、裂傷の長さなどから、細い尖ったもので穿孔した傷、あるいは刃物で切った傷とは所見を異にしていること、(6)以上から、原告の受傷は、幼児の上顎の乳切歯、あるいは乳切歯と乳犬歯のような硬くて先端がやや尖ったものが瞬間的に眼瞼と眼球を傷つけたものと推認され、したがって、ハサミが原因であった可能性は低いとしていること、以上の鑑定結果が得られており、右鑑定結果と前記認定事実を総合すると、本件事故は、潤と原告とがぶつかって潤の歯が原告の右眼に当たって発生した蓋然性が高いと認められる。

(三)  ところで、原告の両親である証人和田實正及び同和田真祐美は、原告から、県病院を退院して間もないころ、本件事故は潤がハサミを口に当ててチョキチョキしながら怪獣ごっこをして歩いていたところに、走って遊んでいた原告がぶつかって起きたと聞いた旨供述する。そこで検討するに、原告らの両親において子供が嘘をつく筈がないと信じる心情は理解できるものの、右のような状況で本件事故が発生したとすると、ハサミの刃が閉じられていた状態であれば、原告の右眼を突き刺すような傷が発生するものと考えられ、眼瞼と眼球を同時に傷つけることは困難であり(被告幼稚園で使用されていた幼児用のハサミは先が丸みを帯びたものである。)、原告の右眼の裂傷が眼瞼と角膜等に一線に生じていて、眼球外膜に限局されていることの説明がつかないことになる。また、ハサミが開いた状態であれば、眼瞼と眼球を同時に傷つけることは可能であるが、幼児の手の力がそれ程強くないことやハサミを持つ手が固定されてないことからして、眼球が破裂する程の外力が加わるとは考えられず、ハサミの刃で眼瞼と眼球を同時に傷つけたのであれば、下瞼にも傷が生じて然るべきところ、そのような傷がないことは不自然といわざるを得ないところであって、右状況で本件事故が発生したとは認め難いといわざるを得ない(調枝鑑定人の鑑定書一一頁、同証言調書一〇枚目ないし一一枚目参照)。

(四)  次に、長山医師は、被告幼稚園の高月園長らから男子園児の歯がぶつかって原告が右眼に受傷した旨の報告を受けながらも、手術直後において、原告の両親に対し、右眼裂傷の状態から、単に園児の歯が当たっただけで本件事故が発生したことに疑問を示し、何か道具で切った可能性がある旨説明していることが認められ(前記看護記録の記載)、さらに、証人として、原告の右眼眼瞼の裂傷は鋭利な刃物によるものと考えられ、先の短く鋭い刃物で眼瞼の上から眼を突き、これによって眼瞼が裂傷し、眼球が圧迫されて破裂したため受傷したものではないかと指摘し、刃先の先端が丸くなっている幼児用のハサミによっても、園児がこれを胸元に固定し刃先を前向きに出して片方の刃自体を握るように持てば、原告の前記受傷と同様の傷害が生じる可能性がある旨証言する。

そこで検討するに、長山医師は、本件事故当日に原告の右眼手術を担当した医師であり、事故直後の原告の右眼裂傷の状態を直接見分したうえで、右説明ないし証言をしていることから、右証言等を軽々に排斥することはできないといわなければならないが、同医師の証言(第一、二回)を仔細に検討すると、次のような疑問ないし問題点があることを指摘せざるを得ない。

(1) 第一回証言では、原告の右眼眼球が角膜から強膜にかけて幅約二〇ミリメートル、深さ約一ミリメートルに鋭利に切れていたことから、小刀のような鋭利な刃物で引いて切られた可能性があるとし、一方で、一時的な強い圧力が加わって眼球が破裂して切れる可能性もあるとして、そのいずれかである旨証言していたところ、調枝鑑定が出された後の第二回証言では、原告の右眼眼球の裂傷は刃物で切って生じることは非常に難しく、それより、眼球が圧迫されて破裂したと考える方が自然であるとし、眼瞼の裂傷は刺し傷である旨、その証言内容に変遷がみられること

(2) 第一回証言では、原告の右眼の受傷が、子供同士がぶつかって相手の歯が原告の右眼に当たった場合の圧力でも起こり得ると証言しながら(同調書一四枚目裏)、人の顔面の構造上、歯が眼瞼に当たる前に鼻や顎が当たるとして、歯が当たって眼球が破裂することはない旨証言するが(第一、二回証言)、調枝鑑定によれば、小児の眼外傷について、その特有な身体の柔軟性により、ときには成人では考えられないような事故が発生する可能性があり、出会い頭の衝突事故や突発的な接触事故により眼球破裂が起こり得ることを指摘しており、長山医師の右証言は、右鑑定と対比して、幼児の身体的特徴や突発的な接触事故によって生じる眼外傷についての理解を欠いたものといわざるを得ないこと

(3) 第二回証言において、原告の右眼眼瞼の裂傷が鋭い刃物で切ったようにきれいに切れており、しかも、縦に切れていたことから、幼児の歯が当たって生じた傷ではない旨証言するが、この点についても、調枝鑑定と対比して、幼児の歯の特徴や突発的な接触事故における幼児双方の顔の角度についての考察を欠いた短絡的な結論といわざるを得ないこと

(4) 第二回証言では、原告の右眼眼瞼の裂傷が鋭利な刃物により、同眼球の裂傷が外圧により、それぞれ生じたことを前提に、相手の子供が、幼児用のハサミを開いた状態で、一方の刃を原告の顔面に向け、一方の刃を手で握ったまま双方がぶつかると、原告の右眼の受傷が生じる可能性がある旨証言するが、そもそも、右ハサミの持ち方は、いかに幼児とはいえ、余りに不自然であって、証言全体からみて、その場の思いつき的な証言との感が否めず、原告の両親が原告から聞いたという潤がハサミをチョキチョキしながら怪獣ごっこをしていたとの状態とも異なるうえ、そのような態様で眼球破裂を引き起こすような衝突をしていれば、原告の右眼上瞼だけに裂傷が生じて下瞼に傷が生じていないことや、相手の潤の手に切り傷が生じていた形跡が窺えないことなどに疑問が生じるところであって、調枝鑑定と対比しても、右証言のような態様で本件事故が発生したとは考え難いこと

以上の点からして、長山医師の証言は、これを直ちに採用することができないといわざるを得ない。

なお、長山医師は、第二回証言において、原告右眼の角膜白班の幅が角膜輪部で広がっているのは治癒の過程で生じた現象であって、その部分に広い裂傷が生じたことを示すものではなく、この点についての調枝鑑定(同鑑定書八頁)には誤りがある旨指摘するところ、長山医師の右指摘は十分説得力があるものの、これによって、前記認定判断が左右されるものではない。

(五)  以上からして、本件事故は、コスモス組の教室内において、潤と原告とがぶつかって潤の歯が原告の右眼に当たって本件事故が発生した蓋然性が高いというべきであって、潤が手に持っていた幼児用のハサミにより本件事故が発生したとの原告の両親の供述や、その可能性を指摘する長山医師の証言は直ちに採用することができないといわざるを得ず、他に原告側の主張するハサミによる本件事故発生の事実を認めるに足りる証拠はない。

3  原告の主位的主張について

前判示のとおり、本件事故発生が潤の持っていたハサミによるものとは認め難いことからして、被告の責任原因についての原告の主位的主張(請求原因2(一))は、その前提を欠き、理由がないといわざるを得ない。

4  原告の予備的主張について

(一)  原告は、仮に本件事故がハサミによるものではなかったとしても、四歳児を預かる被告としては、担当教員において、教室内の園児の動静に注意し、未然に事故を防止すべき注意義務があったところ、宮脇教員が右義務を怠ったため本件事故が発生した旨主張する(請求原因2(二))。

(二)  そこで検討するに、心身共に未熟な幼稚園児の教育、監護に当たる被告としては、担当教員において、可能な限り園内における園児の行動を見守り、危険な行動に及ぶ園児に適宜注意を与えるなど、園内での事故発生を未然に防止すべき安全配慮義務を負っているというべきである。

(三) これを本件についてみるに、前記認定のとおり、本件事故は、被告幼稚園の四歳児の教室内において、園児である潤と原告とがぶつかって潤の歯が原告の右眼に当たって発生した蓋然性が高いが、朝の登園後の始業時間までの自由時間帯に発生しており、園児らは教室内で着替えや積木遊びをしていて、特に騒いだり暴れたりしている様子は見られなかったものであり、担任の宮脇教員は、床の清掃をして教室外に出たところで本件事故を察知し、直ちに駆けつけて応急処置を講じたものであって、以上からすれば、本件事故は、園児同士が教室内で偶発的、かつ瞬時に衝突したことによって発生したものと認めるのが相当である。そうすると、宮脇教員において、前記教室内の園児の状況等からして本件事故の発生を予見し、これを未然に防止することは無理であったといわざるを得ず、被告に安全配慮義務違反があったとは認め難いという外ない。

したがって、原告の右主張も理由がないというべきである。

三  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の判断に立ち入るまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤武彦 裁判官熱田康明 裁判官鈴木博)

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